「録音」に望むこと ~ 最近の無伴奏ヴァイオリン/無伴奏チェロを聴いて

最近感想を書かせていただいたいくつかの無伴奏ヴァイオリン/無伴奏チェロの録音は,いずれも私の「好録音」という観点を外したとしても良好とは言えず,極めて残念なものでした。音楽は素晴らしいのに録音がそれを台無しにしています。こういった録音に出会うたびに,録音技術は果たして1950年代から進歩しているのだろうかと疑問に思えてなりませんし,過去の名録音に何にも学んでないと思ってしまいます。

あくまで私見ですが,まずは楽器の音がありき,第一優先であり,残響などの空間を演出する間接音はあくまで補助的な位置づけだと考えています。何をおいても楽器の音。私の記憶にある過去の名録音は総じて楽器の音が大切に扱われていました。昨今の多くの録音は,この優先順位が逆転しているように思います(さらに言うと,間接音の「質」も悪い)。結果,楽器の音が間接音に締め出され,質感やニュアンスなどが失われていると思うのです。私が残響を嫌う理由はここにあります。

オーディオで音楽を再生するということは,録音している空間の音場をリスニングルームで擬似的に再現する行為と考えることが出来ると思います。録音する空間の膨大な音響の情報を,空間内に設置したわずかな数のマイクで拾い,限られた容量の器(メディア)に詰め込むわけですから,そこに記録される情報は録音空間の音響のほんの断片に過ぎず,再現するには情報量が圧倒的に不足します。録音空間の音響をどのように捉え,この限られた器の中にどのように詰め込むかが鍵だと思います。

残響のような間接音は,空間性を再現するものであり,上手く使えば音楽を豊かに演出するものではありますが,それ自体は音楽そのものの情報をほとんど持ちません。楽器の音に対して間接音の比率が高くなればなるほど楽器の音の情報は前述のように締め出されていきますので,この比率を適切に扱うことは非常に重要です。

もう一点重要なのは,いかに情報量の多い状態で楽器の音を捉えるかということで,これはすなわちマイクをいかに適正に設置するかということにかかっていると思います。楽器から離れるほど質感やニュアンスは失われていきます。またマイクで捉えられる音は本来の音のごく一部であり,編集してメディアに収められ,スピーカで再生して耳に届くまでにさらに相当多くの情報が失われていきます。こうした収録・編集・再生で失われていく情報量を見越したマイク設置が肝だと考えます。過去の名録音は,やはりこういった点においても配慮がなされていたと思うのです。

長々と書いてきましたが,以上をまとめると,私が録音に望むことは,下記の2点となります。

(1)楽器の音を第一優先に,間接音はあくまで補助的に(「質」も大切!),適正なバランスで収録・編集して欲しい
(2)楽器の音は可能な限り情報量の多い状態で収録するようマイク設置を配慮して欲しい

ぜひとも過去の名録音に学び,良質な録音を残していただきたくお願いする次第です。

長文・乱文,失礼しました。

最後に,私が理想とする「好録音」にかなり近い録音の例を載せておきます。以前にも紹介したYouTube動画ですが,残響は皆無,適正なマイク位置で情報量の多い状態で録音され,質感高くニュアンス豊かに音楽が伝わってきます。残響が音楽性にほとんど関係ないということを示す好例でもあると思っています(ほんと「残響ありき」の固定概念から脱却してほしい!)。また私の考える「好録音」はハイレゾや圧縮などとも関係のない軸で見ていることもわかっていただけると思います。いささか極端な例ですが,参考にしていただければと思います。

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