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私にとってのオーディオ,音へのこだわり

先日の12/22の記事で,自分の耳はエージングで起こるような音の変化には極めて鈍感だと書きました。製品を長い間使っていて音が良くなっていくという経験をしたことは少なくとも記憶にありません。また鈍感なのはエージングだけではありません。ケーブルや電源などを替えて注意深く聴いてもその差を感じることは稀です。つまり,こういう微妙な音の差を聴き分ける耳は私にはありません。以前はマニアのような鋭い耳を持ちたいといろいろと試したりしたのですが,結局そういう耳を持つことは出来ませんでした。

でも私は私なりに音にこだわりを持っています。なので自分に合うヘッドホンなどを探し続けたりしているわけですが(すでに気に入っているのがあるんですけどね(^^;),自分の音に対するこだわりは一体どこにあるのか,というのを改めて考えてみました。レビューを読んでいただく際の参考になると思いますので,よろしければお付き合い下さい。

録音,そしてメディアやオーディオ機器というのは,音楽を楽しむための道具です。音楽をできるだけそのままの形で伝えて欲しい,と思っています(今回は「そのまま」という言葉でお茶を濁させてください)。何も足さない,何も引かない,メディアやオーディオは黒衣に徹し,その存在を意識させないものであって欲しいと。なので,オーディオ機器には透明性を求めています。必ずしも忠実である必要はありません。癖のない素直さがあればそれで基本的には満足します。

ヘッドホンをいろいろ聴いてみて,自分にとって癖のない素直なものがほとんどないということに気がつきました。評判の良いヘッドホンでさえ私は癖が気になって使う気がしませんでした。なぜなんだろう,私の耳の感覚はそんなにずれているんだろうかと長い間悩みました。で,たどり着いた結論,私の耳は「癖」に対する許容範囲が極端に狭い,そしてそれが私の音へのこだわりになっている,ということです。

思うに,オーディオマニアと呼ばれる方々は,僅かな差を鋭敏に感じ取る能力がある一方,「癖」に対して非常に寛容であり,むしろ「癖」を愛し,楽しんでいる。だからオーディオを趣味として楽しめる。一方私は「癖」をどうしても許せない。微妙な差に鈍感であることに加え,「癖」を楽しめない私はマニア失格ですね。

CDプレーヤやアンプは,一定のクオリティが確保されていれば私にとっては十分に「透明」です。と思っているので,微妙な音の違いに鈍感なのかもしれません。そこそこの機器で十分満足しています。鈍感といっても一応それなりに音質に配慮したものを選ぼうとしています。もちろん少しでもいい音で聴きたいという気持ちからですが,安心して聴くことができるという心理的な作用も期待してのことです。一方スピーカやヘッドホンはいわば「癖の塊」ですから,定評があるものでも気に入るかどうかは聴いてみなければわからない世界になってきます。これが底なし沼に落ち込む原因になっているのは明らかですね。

ゼンハイザーのHD580やHD25-1 II,MX500にもやはりそれぞれ癖はあるのですが,その癖は私の求める透明性をほとんど阻害していないので,リファレンス機として愛用出来ているのだと思います。

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